2020/02/11
町田市にて Meissen マイセン ティーセット を出張買取させて頂きました。
300年前ヨーロッパで硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」。
その繁栄の歴史は、時代の流れや磁器に果てしない情熱を傾けた人々を抜きにして語ることはできません。
17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛んにもてはやされていました。
純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だにつくりだすことのできないもので、列国の王侯貴族、事業家たちはやっきになって製法を見つけようとしていました。
なかでもドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王は東洋磁器の屈指の蒐集家であり、アウグスト軍に属する兵士600人とプロイセンの王が所有していた中国の壷151個を交換したという逸話も伝わっています。
強王は、蒐集した磁器で城館を飾っただけでなく、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを監禁して磁器製造の秘法を研究させました。
艱難辛苦の末、ベトガーは1708年、ようやく磁器に近いものを作り上げ、1709年には白磁製法を解明、1710年、ついにヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生しました。
硬質磁器の製造に不可欠なカオリンを、マイセンでは近くの自社鉱山で採掘しています。
世界最小の「鉱山」と呼ばれるザイリッツ。
ここでマイセン磁器に白さと硬さを与えるカオリンが人手で掘り出されています。
カオリン、石英、長石という原料のうち、カオリンは65%という非常に高い割合を占めていることがマイセン磁器の特徴になっています。
これらを泥状にし、水分をある程度抜いて「磁土」を作ります。
食器や花瓶の場合は手動式の回転ろくろや蹴ろくろを用いて造形します。
人形の場合には石膏型を用いますが、この石膏型がマイセンの宝ともいえるものです。
マイセン初期の天才造形家、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは、自身が生み出した優れた作品が後世においても作り続けられるよう、石膏で「型」をとることを考案しました。磁土でまず形づくり、それをパーツごとに切り分けて、そこから石膏型を起こすのです。 マイセンには、戦禍を逃れた23万種類以上の作品の型が保管されており、それらを母型として作る作業型から、現在でも昔と同じ手法でさまざまなフォームの作品が生まれています。
原型保管室には45000種の型があり、うち20000種はテーブルウエア用、25000種は置物用です。しかし時には100種類の型を組み合わせて一つの作品を作ることがあります。
石膏鋳型は繰り返し使用するうちに磨り減ってしまうので原型で方をとる職人は母型を確保してたえず新しく作れるようにしておかねばなりません。このことは機能的なパーツも装飾的なアイテムにも当てはまることです。鋳型は基本的には石膏で作られますが、細部に陶土が使われることがあります。
絵付には、大きくわけて「下絵付」と「上絵付」があります。
下絵付の場合には、絵付は約900度で行なわれる「素焼き」のすぐあとに行なわれます。
多孔質のレンガのような状態のところに絵付するため、顔料は一気に滲みこみ修正することができません。
そこで非常に高い技量が必要とされます。絵付後、釉をかけて約1400-1450度で「本焼成」すると、輝くような色合いが生まれます。
代表的な絵柄はブルーオニオンやブルーオーキッド、ワインリーヴなどです。上絵付の場合には、磁器は何も描かれていない状態で施釉し、本焼成後絵付を施します。
ガラス質の釉薬で覆われているため、アルコールなどで拭けば修正も可能です。18世紀からマイセンの工房内実験室で作られる1万色もの顔料を多様に組み合わせ、花や鳥、果物、風景、人物などが描かれます。
その後約900度で仕上げの焼成を行ないますが、複雑な色合いを出す必要があれば、絵付しながら何度も焼成してニュアンスを深めていきます。
マイセン養成学校では、1764年に設立されて以来、数世紀にわたる経験に基づき、かつ新しい考えを取り入れた実践的でかつ理論的な教育が行われ、才能ある若者が過去と同じレベルのマイスターを目指しています。特に自然描写に重点が置かれており、花、植物、果物、鳥、人物、風景を題材に絵画技術の習得を訓練しています。
今回買取させて頂きましたマイセンのティーセットは、割れや欠け、ヒビ等もなくとても美しい状態でしたので、全力で買取させて頂きました。
ブランド食器、陶器、陶器人形、クリスタルガラス等、是非一度査定されては如何でしょうか?
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